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頭ヶ島・青砂ヶ浦、世界遺産暫定リストにのった上五島の教会

2010-04-23 22:35:09配信

 世界遺産の暫定リストに一部の教会がのり、さらに注目が集まっている上五島だが、観光客はスタンプラリーのような巡り方をする人が多い。魅力的な教会がひしめいているのだから、たくさん訪れたいのも無理はないが、気に入った教会で地元の人とじっくり話をしてみると、また違った魅力を感じるに違いない。

 4年ほど前になるが、上五島でいくつかの教会をゆっくりと巡ったことがある。まず渡ったのが頭ヶ島。島にある上五島空港への定期便が廃止になって間もない頃で、長崎から中通島へ高速船で渡り、レンタカーで一路頭ヶ島へ向かった。中通から眺める頭ヶ島は無人島のようさえ見えた。

 橋で海を越え山をまわりこんで急カーブを下ると、大地に根を下ろす石造りの教会と小さな集落があらわれた。頭ヶ島では、地元の松井義喜さんに案内していただいた。
「生まれた時から当たり前のようにあった教会ですが、今はつくづく大変だったろうと思います。13戸20人で支えていますが、高齢化で今は維持するだけでも大変です」
 教会建設に当たって、石は、目の前の小島や島内、中通島などから、船で運んだ。採石、運搬、建造は、もちろんすべて手作業。

「石は、一日に二つか三つしか積めなかった。決めていたその日の教会建設が終わってから、イカ漁などに出たそうです。父は重い石を運んだため、腰を傷めていました」
 約10年かけ積み上げたという切石には、四九五などと数字が刻まれている。意味は不明だそうだが、設計図と石の数字を照合しつつ積んだとも考えられる。



「歪みが出てこんのは不思議。基礎をどんなにして固めたのやろ? 上の方の石はどうやって揚げたのやろ? 分からないことが、たくさんあります」

 中に入ると、壁や柱、天井の飾りなどはピンク、空色、淡いグレーといったパステルカラーで統一され、花びらを連想させるステンドグラスも、赤、黄、青、緑、オレンジと色鮮やか。外観の厳しい印象とは対照的に、春の木漏れ日の中にいるよう。

 さらに、空間を遮る柱がなく天井は折り上げになっているため、面積100平方メートル強の小さな教会ながら、意外に広い感じがする。家庭的なほのぼのとした温かい雰囲気に包まれた教会だった。



ひょっこり中をのぞいただけならば、明るく楽しげな印象だけ胸に、頭ヶ島を去ることになっただろう。しかし、建造した貧しい島人たちの思いを重ねると、美しく軽やかな彩りにも深い祈りが込められているように感じられた。



 翌朝はあいにくの天気だったが、大雨をかいくぐって訪ねた青砂ヶ浦教会では、古木哲男さんが待っていてくれた。海を見下ろす小高い丘に立つゴシック様式煉瓦造りの堂々たる教会で、正面の上部に『天主堂』の白い文字がくっきりと浮かび、十字架や窓や入口の縁取りの白と煉瓦色の壁のコントラストが美しい。





「献堂式は、1910年でした。教会の資材は下まで船で運んで、あとは人力で運び上げ、一年くらいで完成しました。、当時は50戸ほどでしたが、自分たちの家を作るような気持ちで1戸が20円ずつ出し合ったそうです。ただ、千円で足りたかどうか。パリ外国宣教会あたりが、不足分を出していたかもしれません。下の道ができたのも、やっと34、5年前のこと。現在は300戸、900人の信者がいます」
 青砂ヶ浦の10年足らず後に建造された大曽教会は1万2千円を要したそうだから、千円ではまったく足りなかっただろう。ここも他と同じく、教会建造に熱心だった大崎八重神父の尽力で建てられたという。

「私たちが子どもの頃は、教会(の行事)が学校に優先していました。でも、神社も学校に優先していました。学校教育に、ゆとりがあったということでしょうね」

 国の重文に指定されてから観光客が増え、それとともに現場で指揮に当った名棟梁鉄川与助の名前も知られるようになったが、信者たちは大崎神父が建てたという強い想いを持っているようだった。天主堂の中で話をしているうちに、巡礼者のグループがやってきてミサをはじめ、堂内には凛と張りつめた空気が満ちた。



 重厚な建物である前に、今の時代を生きている敬虔な信仰の場であることをあらためて思い出し、支えている人々の静かな熱気が、この教会の大きな魅力になっていると感じずにはいられなかった。


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