それまで何度か渡島を試みて、やっと野崎島へ行くことができたのは、平成8年4月のことだった。まだ、先祖代々の島人が住んでいた時代だ。これから何回かに分けて、一般住民がいた当時の野崎島を紹介しよう。
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昨年(平成7年)就航したばかりの「第3はまゆう」は、島のオバァさん一人とぼくだけ乗せて、小値賀島の笛吹港を出航した。しばらくすると、左舷に野崎の全貌が浮かび上がる。中央の括れた部分が荒れた地肌を見せている。何か工事が行われているらしい。
野崎の南端に差しかかると、山の頂まで階段状の急斜面が続いていた。昭和41年に挙家離村したという隠れキリシタン集落船森の跡だろう。廃村になってちょうど30年になるというのに、段々畑の痕跡は明快だった。


東側にまわり込むと、断崖の彼方に巨大な白砂の浜がみえた。砂丘の上に赤い屋根を連ねた建物は、廃校を利用した自然学塾村(ワイルドパーク)だ。その向こうに、端正にして重厚な赤煉瓦の旧野首天主堂がそびえていた。赤茶けた山肌の下に、港らしき突堤とまばらな屋根がある。あれが、野崎の集落か。岬の一部と化し、あまりにも静かな光景。
どこからともなくあらわれたのは、数人だけ。人待ち顔が、公民館を管理する岩坪さんの奥さんらしい。挨拶をして、「皆さんに」と一升瓶を渡した。
「あの白い木造の建物が公民館です。自由に使ってよかよ」
宿がないので、宿泊を公民館にお願いしたのだ。
「これから、神嶋様にお参りに行こうかと思っているんですが。向こうですよね」
港の方を指すと、全く逆の方だという。
「これから、行くと? 日が暮れるとよ」
まだ、午後の2時をまわったところだ。
「行けるところまで、行ってみます」
島の北端にある神嶋様までの道は、最近荒れて分からない所もあるらしい。
教えられた道は、すぐにフェンスに突き当たった。どの道も、フェンスで途切れる。この集落は檻の中にあるらしい。その檻の中の檻、天と四周を漁網に囲われた畑で、オバさんが草をむしっていた。
「済みません。神嶋様へ行く道はあっちでいいんですか。皆、行き止まりなんですが」
オバさんはやれやれという表情で手を止め、先に立って歩きだした。
「この扉を通って真っすぐ行くとまた扉があると。そこを抜けると道が続いているとよ。あの赤い山の緑の筋が道たい」
ギリリッと扉を開けると、俄に草原が騒めき立つ。ベージュ色の枯野原に黒い影。鹿の群れだ。耳を立て、走りはじめる。高く跳ぶものもいる。向こう側のフェンスの扉を潜ると、小径が伸びていた。外に出たのか中に入ったのかよく分からない。
すぐに分岐点があり、広い道は倒木でさえぎられ、細い方が北へ続いている。そちらをたどると、北崎展望所に出た。淡いエメラルドグリーンの海。まるで珊瑚礁の海の色。思いがけぬ絶景に、心地よい溜息がもれる。
引き返して、倒木を避けるように蹄で固められた脇道を行く。林を抜けると、赤茶けた山肌に草色の道が一本、緩やかにうねりながら登っていた。突然その脇の赤い荒れ野に白い点が灯った。仲間に警戒を促すため、鹿が尻の白い毛をあらわにしたのだ。全部で30頭はいそうだ。


かなり登ってふり返ると、集落にだけに緑が残り、周辺は地肌が剥き出しになっていた。鹿の食害に違いない。足元に気を取られながらしばらく進み、目を上げて立ちすくんだ。海の底全体が、頼りなげに碧い光を発している。北崎の海のようだが、より深い憂いと翳りを帯びている。この海に会えただけでも、野崎に来たかいがあったと思う。
登りはいよいよ険しくなる。小休止を繰り返しながらも、いつかかなりの高みに立っていた。またもや、素晴らしい眺望。本島の小値賀を中心に、斑島、大島、黒島、今朝歩いた納島などの有人島はもとより、薮路木島、古路島、赤島、困窮島であった宇々島などの無人島が多数散らばっている。小値賀群島をまるごと掌中に納めたようでいい気分だ。
眺めているうちに、ぼくの頭の中で港の防波堤は消えて、水を張った田が徐々に広がり海とつながる。入江はさらに拡大し、ついには小値賀島を二分してしまった。六百数十年前の建武年間に干拓され、一つの島になる前の小値賀の姿が浮かび上がっていた。


目的地も近いはずと思っていると、森の地面ががれ場になり突然道を失った。オバさんたちが迷うといっていたのは、ここなのか。幸い巨木が多いので見通しはよい。勘を頼りに進む。道らしきものが見え、降り立つと少し先に石段があり、上には神殿と思しき影がのぞいている。背後には、平石を戴いた巨大な二本の石柱がそびえていた。
目指す王位(おえ)石だった。
沖神嶋神社はともかく、謎の巨石に会いたくてここまでやって来たのだ。
若葉に包まれた大木の葉群から一頭抜きんでて、いかにも神々しい。見上げるうちに手を合わせたくなる。巨大石柱そのものが神嶋様なのだろう。メンヒルの一種だとか、古代の祭祀場跡だとか、地上25mほどの高さにある平石の上で神楽を奉納した、遣唐使船航行の目印になったなど、多くの伝承に彩られた巨石だが、はっきりしたことは分かっていないらしい。王位という字が、いわくありげだ。
最近あまり訪う人もないのか、社の周辺は荒れ気味で一升瓶が散乱していた。ニワトコの枝に干涸びたキクラゲを発見。神嶋様に許しを乞うて、今晩の菜として収穫した。
巨石の周辺を犬のように歩きまわり、急斜面をよじ登っては岩肌にふれ、下からのぞき込む。謎の気配が色濃いが、水の匂いのようにはかなくとらえどころがない。
いつか、日が傾いていた。森厳とした社叢さえ抜ければ、迷うところはない。それでも、山道の日暮れは早いので知らず急ぎ足になる。公民館の近くで、道を教えてくれたオバさんに神嶋様まで行ったと報告すると、さすがに男衆の足だと感心された。
ビールがないことを嘆き、冷えた焼酎を呷りながら、夕食の支度をした。といっても、メインは王位石のそばで採ったキクラゲと持参のモヤシをのせた味噌ラーメン。そして、肴は磯で採った小さな巻貝の塩ゆで。それでも、なぜか満ち足りていた。

※写真は14年前の当時のものを掲載しております。
少し色褪せた雰囲気も当時の島の様子として味わっていただけると幸いです。
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