HOME > 上五島・小値賀を知る > 歴史をめぐる
History Walk
五島列島はその昔、「知訶島(ちかのしま)」といわれていました。さらに上五島を小近(おぢか)、奈留島以南の下五島を大近(おおちか)と呼び分けた時代もありますが、唯一、小値賀島のみが当時の名を引き継いでいます。 『古事記』の国生み神話にある「両児島(ふたごのしま)」は小値賀島だったともいわれ、また遣唐使の寄港地、捕鯨の基地などとして歴史にも多く登場します。五島列島唯一の古墳、神方古墳がいまも残り、五島列島最古の木造建築がその姿をとどめるなど、小さい島ながら、歴史的要素がもっとも濃い島といえるでしょう。
小値賀港からほど近い阿弥陀寺境内に建つ、五島列島最古の木造建築。真っ赤な壁ですぐにそれとわかる堂は正徳5年(1715)、江戸時代に鯨組を組織した小田傳治兵衛重利が建立し、平成12年、長崎県の有形文化財に指定されました。
松浦氏の居城といわれる中世の城跡。入口には荒れ果てた新田神社が建ち、人柱伝説の伝わる潮見様が祀られています。場所はわかりやすいですが、城の堀跡まで入っていくのは避けたほうが無難です。
小値賀島はもともと2つに分かれた島でした。鎌倉時代末期、2つの島の間の狭い海の埋め立て工事が行なわれ、そのときの工事で犠牲になった牛を祀ったのが牛の塔です。埋め立ては建武元年(1334)に終了し、このとき埋め立て地に作られた新田は建武新田と呼ばれ、歴史スポットのひとつとなっています。
小値賀島と橋でつながった黒島にある、弥生時代から古墳時代にかけて築造された約30基の墳墓群。朝鮮半島南部で作られた陶質土器が出土しており、小値賀と朝鮮半島に交流があったことをうかがわせます。小値賀港から歩いて行ける距離にあり、約15分。
前方郷近浦にあり、鳥居のすぐ先が海というロケーションで知られる神社です。海に面して鳥居があるのは、海の向こうの野崎島にある沖の神嶋神社と対をなしているから。つまり小値賀側が本宮(辺津宮)、野崎側が沖の宮(沖津宮)というわけです。この2つの神社を合わせて神嶋宮と呼んでいます。
美しい松並木が続く姫の松原に面して建つ志々伎神社の入口に置かれた古代船の碇。ここにある碇石は、島東北部の前方湾から引き揚げたものです。遣唐使船などの寄港地だった五島列島では、多くの碇石が海底に残っているそうです。
江戸時代、小値賀島では捕鯨が盛んでした。当時、壱岐から移住してきた小田家が中心となって鯨組を組織していましたが、その小田家に不幸が続いたため元禄8年(1695)、鯨の供養のため立てたのがこの碑といわれています。
島の東部、唐見崎と小値賀空港のある半島に挟まれた前方湾にはいまも、古代から近世にかけての遺物がたくさん眠っているといわれています。
唐見崎地区にそびえる本城岳は、山そのものが要塞化された山城でした。中世の松浦党に関わる遺跡と推測され、いまも石塁の根石、空堀、帯郭などの城郭遺構が確認されています。歩いて登れます。
前方郷相津と前方後目地区の境にある、ほぼ南に開口する横穴式石室墳です。天井石はほとんど持ち去られていますが、側壁は良好な状態で遺存し、その規模は奥行き約3.5m、幅約2m程度と推測されています。場所がわかりづらいので、近所の方に尋ねてください。
コメントについてコメント