HOME > 上五島・小値賀を知る > 上五島コラム 建築史に残る数々の教会を造りあげた鉄川与助
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全国に1000堂前後あるカトリック教会のうち、長崎県にあるのは約130堂。長崎は教会建築のメッカともいえますが、これらの教会の3分の1以上を自ら設計施工した建築家が上五島にいました。その人の名は鉄川与助。
明治12年(1879)、上五島(旧・新魚目町。現・新上五島町)で生まれた与助は、棟梁だった父のもとで大工の修業に励んでいた20歳のとき、曽根天主堂(新魚目地区)の建築に参加します。教会建築と初めて出合った与助はこれをきっかけに、ペルー神父らとの交流を深め、教会建築家としてのスタートを切りました。
明治40年(1907)には、自身初の設計施工による冷水天主堂(上五島地区)を建てましたが、それまで専門的に建築を勉強したこともなく、教会建築の本場、ヨーロッパを一度も訪ねたことのない与助にとって、本と各地の神父だけがその先生でした。
たとえば、教会内部の特徴的なリブ・ヴォールト天井、いわゆる柳天井の構造計算はコンピューターを使っても難しいといわれますが、与助は独学でその計算を行なっていたのです。そして冷水天主堂を皮切りに、堂崎天主堂(※福江島・五島市)をはじめ野首天主堂(※野崎島・小値賀町)、青砂ヶ浦天主堂(※上五島地区)、江上天主堂(※奈留島・五島市)、頭ヶ島教会(※有川地区)、今村天主堂(福岡県大刀洗町)、紐差天主堂(平戸市)、崎津天主堂(天草市)といった名だたる教会を建築しました。ちなみに、世界遺産に推薦された長崎教会群のうち五島列島にある6つの教会は、旧五輪教会(久賀島・五島市)をのぞき、すべてが与助の建築です(上記※印)。
こうして与助は、ド・ロ神父らとも交流しながら日本の教会建築をリードしてきましたが、与助自身は昭和51年(1976)、97歳でなくなるまでずっと仏教徒であり続けました。
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